【考え方】エイプリルフール☆

矢内綾乃です。


突然ですが、

私の実年齢は、80歳なのです。

死んだときに、神様に「どーしてもやりなおしたいから元に戻してほしい」とお願いして、今の年齢でやり直させてもらったのです。


思えば、”以前の私の人生” で私は ”傷つかないこと” ”恥ずかしい思いをしないこと” ”まぁまぁ” を最優先してきました。

高校、大学、新社会人、、、人生の前半は良かったのです。

ですが、社会に出てからは卒業もなく、チャレンジすることをせず、家と会社を往復し、結婚して40歳。家にいることが多くなり、友人が少なくしゃべらなくなりました。子供が自立した50代。なんとか趣味を探し、太極拳の繋がりで友達もできましたが、非常に表面的な関係で、話す話題も「足腰が痛いですね、最近」程度。そして60代。子供だけが楽しみで、家で娘が返ってくるのを楽しみにしながら、死ぬまでの暇つぶしをするかのように日常をやり過ごし、貯金を使わないように節約に注意し、70代。年金と貯金をおそるおそる使いながら、子供にも残したいので海外旅行や高い食事はせず、ほそぼそと、家、接骨病院、趣味の会を繰り返し繰り返し往復し、ある日風邪をこじらせたのをきっかけに肺炎と、腸閉塞を併発して生涯を閉じました。

このように、失敗することへの恐れから、言い訳と正当化で何もしないことを容認し、悪くならないように、過度な努力の必要が無いように、疲れないように、という選択を繰り返した結果、”ただ生きていただけだった”人生であることに、享年80歳4月をもってしみじみとわかったのです。本当は、ちょっと失敗したって死ぬわけじゃなかった。何かにチャレンジして恥ずかしい思いをすることや、時間やお金を失うことよりも、人生最後の日に時間を取り戻すことができない痛みに比べれば、本当はなんてことなかった。そもそもわたしはもっとできたかもしれない。人生は一度しかなかった。

結局は死ぬのだ。若いころの”恥ずかしさ”や”疲れ”など、本当に存在したのか?

結局は死ぬのだ。確かに恥ずかしさ、疲れはあったかもしれない。ただ自分次第でとらえ方や感じる量は違ったのではないのか?

結局は死ぬのだ。今の間に合わない後悔に比べたら、ほとんどがかすり傷だったのではないか。

結局は死ぬのだ。”私の本当の可能性、見てみたかった”


「神様、神様。わがままは言いません。ほんの半分でいいから、やり直してみたいのです。」

神様と約束しました。

よし、半生をもどしてあげよう。ただし、いまを壊さないように生きるのか、人生最後の日から振り返った今日、最高の角度でチャレンジするのか、の選択で迷ったとき、今度は最高の方を選びなさい。

そう約束して戻ってきたのです。。。



もちろん、エイプリルフールの嘘ですが(^^)

悪くない、ではなく、やりきった最高のHappyEndを迎えたいですねっ!


☆今日の格言☆

「今日が人生最後の日」そう思ったらなんでもできる


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 矢内綾乃
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女性経営者 矢内綾乃〜経歴と多角経営への道〜

矢内綾乃(やない あやの) 猫と自然とのびのび育った幼少期。 勉強はできる方で宇宙に興味があったこともあり、北海道大学院で量子物理学を専攻することに。 その甲斐あってNECでエンジニアとして働くも、人との出会いをきっかけに より自由で豊かな人生を送るため、経営者の道を志しました。 2児のママ業と多角化経営の両立をやり遂げるため、子どもたちからママみたいになりたい!と言われるように日々挑戦中です!