矢内綾乃です。
社会人成りたての若手と話すと、自分が会社に新入社員で入ったころを思い出します☆
勤め始めて、3年が過ぎたころ、人生の時間割について後輩に教えてもらった話が印象的です。
そのころ、私は、平均して朝の9:00-夜の21:00まで会社にいたので、
24時間のうち、12時間は会社のデスクの前の椅子に座っていました。
人生の時間の半分は、デスクの前。
24歳~65歳まで、約40年間勤めるとすると、そのうちの約20年はそこにいる計算になります。
そして、”人生の時間割”
課長は、朝早く出勤して夜遅くまで会社にいます。
働くメインの目的は、家族のためだ、と言います。
私は、朝早く(早くなないな、、、フレックス使いまくり(><))出勤して、夜まで会社にいます。
働いて稼いだお金を握りしめ、週末は当時の彼氏さんや友達に会いにいきます。
将来結婚したら、病める時も健やかなる時も結婚相手と共にいることを神様にちかっちゃったりするんです。
“共にいる”ということを、”気持ち的に”という不確かなものではなく、
“時間”という絶対物理量で計測したらどうでしょう?
課長は、家族と共に生きるために会社で働いているけれど、実効時間はわたしと24時間中12時間いました。
もしかしたら40年中20年という時間をともに過ごすことになります。
逆もまたしかりで、私は友達、恋人、親、将来の家族と“共にいる”ために、生きるために会社に行きます。
つまり、友達、恋人、親、将来の家族と“共にいる”ために、20年を課長と”共にいる”のです。
なんだか、不毛じゃないですか?
仕事はする!必要な分は稼ぐ!でも、共に人生を創りたい人と過ごす!家族にもいつでも会える状況を作り出す。
わたしの挑戦してきた理由は、仕事内容を変えたかったわけではなく、
生き方を変えたかったのだと思うのです♪
当時の身の回りの人に、働く目的は何ですか?と聞くと、
20代の卒業直後の方は、たいがい「やりがい」「昇進するんだ」「せっかく入ったので頑張る」なんてことを言います。
30代~40代の上司は、家族のために、と言います。
50代の方は、もうちょっとで定年だから老後に備えるんだ、という人が多いです。
事情、状況によって目的が置き換わるのだとしたら、
それは本当に人生の目的と一致しているのでしょうか?
一貫性のない目的とその、その場その場の目的達成を繰り返した終着点はいったいどうなるのか、気になって気になってしょうがなくなったのは、そのころです。
事情・状況、から選択して目的を作り出すのか = 他人が源
それとも人生の目的を先に決めて、そうなるために逆算して、事情や状況を整えていくのか = 自分が源
そこには、“生き方”についての参加の姿勢に選択肢があります。
どちらが“正解”ということはありません。
物事はいつもトレードオフで、メリットデメリットはあります。
ただし、自分が源の人生を選択すると、とてもとても良い副産物があります。
それは、“人生から、一切の不平不満が消える自由”を得るということ。
時間の流れはあっと言う間で、一日はめまぐるしく過ぎていきます。
というより、時間めいいっぱい労働するような社会の仕組みになっているのでしょう。
そんななかで、時間をとめて、本当はどうなりたいか?一貫して願うこと見つけ出す・紙に書き出す時間を作ってもいいんじゃないかな?と思います(*^-^*)
やるなら今日でしょう♪
明日、という言葉は、明日になっても明日なのですから。。。
本日の格言☆
なんでやねん。
ええか?
今日やらんと一生後悔するで。
みんなそうやって死んでくんや。
もし、
【みんな】
と
【自分】
に境界線引くチャンスがあるとしたら、
それは
【今】
以外ないで。
出典)
水野 敬也
夢をかなえるゾウ
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矢内綾乃
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